檜垣の考える"健康"とは?
「健康」とは?
古くは1948年に発行されたWHO憲章では
健康の定義について、
「健康とは、病気でないだけでなく、
肉体的、精神的、社会的にも満たされた状態」
とされています。
「社会的」というのが大きいと思っており、
私たちが想像しやすい「心と身体」だけでなく、
人とのつながりや恵まれた人間関係・環境も
関係していているのかなと考えています。
このような一般的な健康の定義も踏まえて、
檜垣の考える「健康」はまず、
「人間らしくあること」。
これが、私が「ヒューマンフィットネス」という
屋号を付けた所以でもあります。
人は独りでは生きていけないし
歳を重ねれば目が見えづらく
耳も聞こえづらくなる。
たまに病気もする。
完ぺきではないから失敗もするし、
笑ったり喜んだり、たまに泣いたり怒ったり、
本来は感情豊か。ずっと頑張ってもいられない。
こういう"人間らしさ"を受け入れていることが、
健康の第一条件なんじゃないかと思うのです。
それを踏まえて、私の考える健康とは、
人間らしさを受け入れ、
希望を持って自らの意思で取捨選択をし、
成長し続けている状態であること
=健康
病気でないこと、というのは
短期的・狭義的にはあてはまると思いますが、
私は健康をもっと
長期的・広義的にとらえています。
例えば、私は以前
コロナウイルスに感染してしまい、
喉の痛みや鼻詰まりに見舞われ、
肉体的に多少の苦痛を味わいました。
その数日のうちは確かに"病気"にかかっており、
狭義の意味では「健康」とは言えないかもしれません…
しかし、寝込むほど何もできないわけではなかったし、
食欲も味覚もあり、自宅でできる仕事はしていました。
オンラインレッスンも予定通り行いました。
(聞き苦しかったらすみませんでした…。)
家でゆっくりすることもできたはずですが、
それよりもやりたいことがあった。
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私の場合、生きる信念として
世界中の人を健康にしたい。
その目的のための最優先事項として
タバタトレーニングを正しく広めたい
という意志がある。
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それに向かって日々頑張り、
色んな人に助けてもらいながら、成長している。
きれいごとかもしれないけど、
本気で実現できると信じて、
希望を持って、
自ら取捨選択していることなのです。
また、例えば生まれつき目が見えなかったり、
交通事故で手足が不自由になったり、
障がいを抱えて日常生活に少なからず
制限がかかってしまう人。
こういう人たちでも、
芸術や音楽で人を感動させたり
スポーツで人に勇気を与えたりする人もいます。
誰かに助けを求めながらも……
自分のできること・得意なことを見つけて
研鑽し、成長し、
人の役に立てることだってたくさんあります。
生きる希望を持って
人生をまっとうしていると思うんです。
そういう人は、胸を張って健康だ、と
いえるのではないでしょうか。
逆に、身体は特段不自由なくても
働きづめでずっと疲労が抜けなかったり
相談できる人もおらず孤独感を感じていたり、
感謝する・感謝されるという豊かな心がなかったら…
周りに流され自分の人生に責任を持てず、
自由でありながら、自らの意思で選ぶことができず、
成長も止まってしまう…
これは私の思う健康ではありません。
あなたの考える健康ってなんでしょう?
たまにはそんな話も、
あなたとしてみたいです!